06

 エレナの語る理想を、マリーナはにこやかに頷きながら聞いている。ふたりはひとの目をよく見て話す。だから、そうではない者が傍から見ればまるで熱心に見つめ合っているかのようで。

 おまけに、その舞台は屋敷の庭に据えられた白いテーブルときている。降り注ぐ木漏れ日、鳥のさえずり、まるで戯曲のひと幕だ。スポットライトの下には、深窓の令嬢を思わせる美女と、まだ面立ちに幼さを残す愛らしい少女だけ。

 ふたりの間の席で、しかしまるでこの円の外にいるような疎外感は気のせいだろうか。向かいに座るDは同じことを考えていたようで、苦笑いを隠し切れずに茶々を入れる。

「妬けますよ」
「あらD、彼女の魅力をようやく直視する気になったの?」
「逆です、逆。目の前で私の可愛い恋人が取られてしまいそうで」
「そんなことないよ、ぼくはふたりが恋人どうしだってわかってる」

 慌ててマリーナは手を振ってみせる。しかしDは、昨日は彼女が「マリーノ」と男の名前で呼ばれ、よく似合った細身のスーツを身に纏い、街の女性たち――主にまだあどけない少女たちの視線を集めていたことを知っている。男性として、だ。

 きりりとした目つきがかっこいいだの、まだ柔らかそうな頬が可愛いだの。とにかく密やかに囁かれていた昨日の少年と、目の前の清楚なエプロンドレスの彼女が同一人物だと気づける者はボンゴレ以外には皆無だろう。

 ――真っ先に見破ったのが自分であることはちょっとした自慢だったりする。

「どちらの名前で呼べばいいのかと、屋敷のあちこちで悩みの種になっていますよ」
「いいよ、どっちでも。その方が都合がいいから」
「私はその日の見た目で変えているわ。今日のこの子はマリーナよ」
「オレもだ、アラウディもそうしているし。昨日はマリーノ」

 Dは肩をすくめながら、手にしたスプーンでバニラアイスを掬う。

「我らがボスが言うなら、私も倣うとしましょうか」

 案外そのあたりは緩い――と思わせる適当さだが、実のところは深刻な事情による。それをアラウディに明かされたのは、コザァートとエレナを加えた四人でのあの作戦の後だった。

 ***

「あの子は弱い」

 開口一番自分の家族をそう評するあまりのらしさに、乾いた笑いをこぼしたのはコザァートだ。

 騒動は無事解決した。本部に帰還するというアラウディが移動するまでのわずかな時間、こうして三人で役所の前に集まっている。中では、エレナがことの顛末を嘘偽りなく大勢の役人に話してくれていた。

「僕は職務上とにかく恨まれるし、疎まれる。命を狙われることは珍しくない」
「気分が悪くなる話だな。矛先がきょうだいに向くことがあったんだろ?」
「そう、何度もね。よく聞く話さ、お前の家族の命が惜しかったら……というやつだよ」

 そこそこ歳が離れているという、下のきょうだい。アラウディと並べたならほぼ確実に非力だと判断されるだろう。そこをつけ込まれたのを思い出したのか、彼は小さく息をつく。長身を役所の壁に寄りかからせると、黒いコートが夕方の影に溶けるようだ。

「誘拐されても、いつも無傷で逃げ延びているけれどね」
「だが、それがいつまで続くかわからないだろう」
「僕らもそう考えた。だから、あの子も僕の部下として扱うことにした。どう転んでも敵対勢力と縁が切れないなら、いっそ狩る側につけばいい」
「……お前、案外血の気が多いんだな」
「好きに言うといい」

 コザァートが信じられないと愕然とするのは、きょうだいは守り通すものだと思っているからだろう。それをわざわざ危機に晒すアラウディの考えを受け入れられないのも無理はない。

 だが、飲み込めはするものだといえる。監禁しているわけではないのだから、どうしても目を離す隙ができてしまう。ならば、自衛を身につけさせる意味でもアラウディの下につくのは筋違いではない。それに、機関内での連絡が途絶えればすぐに異変を察知できる。

「この街はここ数ヶ月で違法売買に絡む件数が急増していた。だから偵察としてあの子をやったのさ」
「全然気づかなかったよ、本当に普通の子に見えたから」
「日によって男の子にも女の子にも変身できること以外は、な」

 マリーナとマリーノの入れ替わりはほとんど完璧だった。何も知らない者が、ふたりを同一人物だと判断することはないだろう。いつどちらの見た目で活動するか、法則性をなくしてしまえば怪しまれることもない。潜入を円滑に進めるためにも、本当の性別を隠す必要があった。

 コザァートは見事なものだと頷き――アラウディはちらと視線をよこした。指先でさりげなくポケットを上からなぞるのは、何かを考えるときの癖だろうか。そこまで考え、しかしそれはないだろうと自分で否定する。細かなことでも、何かを周囲に悟られるのはこの男にとって死活問題のはずだ。

「ところで、マリーノ……マリーナも帰ってしまうのか?」
「いや、留まらせる。今回のことは僕の追っていた本命とは無縁の事件だからね」
「そうだよな……まぁ、任せておけよ。あの子のことはちゃんと気にしてるからな、何かあっても助けてやれる」
「気持ちは受け取っておくよ」

 彼にしては肯定的なことばに、思わずふたりで「やはり」と顔を見合わせてしまう。何のかんのと客観的に振る舞っていても、家族のことは心配なのだろう。自然にそう考えることができた。アラウディがマリーナ――その日は女の子の格好をしていた――を訪ねるところに居合わせたときのことを思えば。

 忘れることなどできない。

 兄との久々の再会に大喜びしながら引かれる手を、きつく握り返していたことを。

 その日、マリーナが具合を悪くしていたのを察して、白い額に手のひらを当てて熱を確かめてやっていたことを。

 何より、ロケットの写真を眺めていたときよりもずっと柔和で、愛おしげな目を向けていたことを。

 これが「可愛がっている」以外のなんだというのだろう。

 ***

「あなたの作るお菓子はどれもおいしいわ」
「あぁ、オレも楽しみにしていたよ。今日のはとくに、甘くていいな」
「ありがと。Dに提案してもらってから練習してたんだ」

 四人でテーブルを囲みながら舌鼓を打つのは、マリーナ特製のバニラアイス。Dに「エレナが喜ぶ」と断言され、朝から張り切って作ったのだという。組織が大きくなり必要に駆られて移ったこの屋敷で、マリーナもいっしょに暮らしている。できたてを振る舞うにはうってつけの環境だった。

「さすが、私の目に狂いはありませんでした」
「おいしいでしょ?」
「えぇ、とても。がんばりましたね」

 皆に褒められ、マリーナははにかんで礼を言いながら自分もスプーンを口に運んだ。有事には機関やボンゴレの一員として的確に立ち回るとはいえ、まだ子どもの一面を捨てきれてはいない。甘さと取られたならそれまでだが、彼女のその甘さを愛するものは大勢いる。先ほどアイスをつまみ食いしようとして「君のは今冷やしてるの」とつまみ出されたランポウもそのひとり。

 そして、このテーブルへ遠慮なく歩み寄る男も。
 
「やはりここにいたのかい。取り込み中失礼するよ」
「え、兄さん?」

 ほとんど足音もなく、普段どおり無表情のアラウディはマリーナの真後ろに立った。マリーナが慌てて振り返るのをよそに、エレナとDがこっそり笑い合う。今日の彼の行動から照らし合わせると、帰還して真っ先にここを目指したのは明白だからだ。

「もうすぐ時間だ。わかってるでしょ」
「……うん」
「嘘つきの目をしたね」
「してない、してないったら」

 体が丈夫ではないマリーナは、ひとよりも多く睡眠が必要だった。いきなり眠り込むことを防ぐため決まった時間に仮眠を取ることを本人は嫌がるが、アラウディは逃げを許さない。任務は二の次にきょうだいの心配をしているのだと、事情を知る誰もが理解していた。

 アラウディの視線は渋々席を立つマリーナを離れ、無言でこちらを捉える。半ば強引にこの集まりからひとり引き離すのを詫びているわけではない。片手でマリーナの額に触れながら向けられる音のない問いは、今まで何度もされてきたものだ。

 あの日コザァートとともに彼へ宣言した約束は、まだ生きていると考えている。少なくともこちらは。アラウディは常にここに――いや、マリーナのそばにいられるわけではないから。

「もう三週間か。何もなかった。安心しろ」
「そう。ありがとう」
「何の話?」
「今終わった話だよ」

 不思議そうにしつつも、マリーナは「またね」と笑って手を振り、空いた食器を手早くまとめると小走りに屋敷へ入っていった。空になった席にアラウディがつくことはもちろんなく、エレナもそろそろ公務に向かわなければならない。短いお茶会はお開きにするべきだろう。

「話には聞いていましたが……これを見るとますます知りたくなりますよ」
「何のことだい」
「あなたたちの組織は存在自体秘匿するべきもののはすだ」

 Dが立ち上がりながらアラウディへ問うのは、とくに含みのない好奇心だとわかった。エレナを通じてできたマリーナという新しい友人、その兄への。

「それ以上に、あの子はあなたの宝ものでしょう。なぜプリーモや私たちにきょうだいだと明かす気になったのですか?」
「話す必要があると?」
「私の興味のためには」

 エレナは集まってきた侍女たちに荷物を任せながらも、こちらを気にしている。喧嘩ではないと頷くと、安心したように返してくれた。

 アラウディとD。決して敵対しているわけではないが反りが合うわけでもない。最年少がいなくなった今ストッパーとなる者がひとり減ったことになるのを、エレナともども察してはいた。彼らはエレナやマリーナの前では示し合わせたように争おうとしない……極力、だが。

 睨み合うでもなくDを見ていたアラウディだが、ふと視線をこちらへ向けた。それは一瞬で、おやと思うころにはマリーナの後を追うように屋敷の窓を眺める。わずかに強くなった日差しに目を細めることもなく、ここから影も形も見当たらないきょうだいを探すように。

「僕らには互いだけだった。信頼できるのも……けれど君たちは違うと、そう思ったんだよ」
「それは、どうしてだ?」
「直感」

 確かな根拠から得られる結論が全て、そんな世界にいるはずの男のことばとはとても思えず、何も返せない。DはDで、今のが本心なのか笑い飛ばすべき冗談なのか困惑しきりだ。

 しかし、真実であると声色がはっきりと示していた。マリーナに、マリーノにだけ向ける慈しみが微かに滲んでいたから。

 今度こそ、アラウディは踵を返す。屋敷へ立ち入るのは、きょうだいが言いつけを守っているか確かめに行くのだろう。

 眠るマリーナをそばで見つめたまま動かない彼を、知っている。

「あの子は弱い。怖がりで、気弱で、それでも君たちのことは信じた。僕はそれを信じる。それだけのことだよ」