身の程知らず

 校舎にガラスの割れる音が響いたのは日の沈みかけた時刻だった。次いで聞こえる怒号、男子数人のものがだんだんと近づいてくる。キョーヤは疎ましげに扉の向こうへ視線をやったきりで慌てた風でもない。わたしと正反対だ。

「え、え? 何だろ、喧嘩かな」
「いや、僕たちを探してるんだよ」

 応接セットから後ずさる脚がそのことばで固まってしまう。そういえば数日前、体育館裏で一年生からお金を脅し取っていた三年生を咬み殺したと聞いた。「十円を拾った」と何ら変わらないニュアンスでさらりと報告されたものだから忘れていたけど、相当手酷くやられたのならこの状況がなんなのか大体予想がつく。

「報復ってこと?」
「だろうね。目的は僕だけど、狙いは君」

 ――椅子から立ち上がってカーテンを閉め始めるキョーヤは手招きしてわたしを机の奥へ誘った。陰に隠れてと示される間にも荒々しい足音は階段を上りつつある。それを気にながらも、対立構造に入ってくる自分の存在がどうにも不可解で。

「わたし……?」
「彼らは僕には勝てない、だから矛先を君に向けるんだ」
「何、それ」

 驚いた直後、そんな事実はキョーヤが黙っていてくれただけで今まで何度もあったことだとすぐ察しがついた。キョーヤはわたしを守ってくれる、それはとても嬉しいことで。許せないのはあの男子たち――それ以上に自分だった。キョーヤの弱みになっているのだと改めて自覚して、悲しくて……最後に心のどこかが切れた。こんなことは滅多にない。だからこそコントロールできなかった。

「わたし言ってくる、こんなのおかしいよ」
「……何を考えてるんだい」
「悪いのは一年を苛めた自分たちだって、あっちもわかってるはずだもん。キョーヤに仕返しなんて筋違いだって説明してくる」
「みどり」

 急ぎ足で出ていこうとしたのを止めたのはキョーヤの手だった。手首を掴まれて振り返ると、いつもの無表情のままわたしを見つめる目がある。引き留めるのはわたしのためだとわかっていても止められなかった。キョーヤを煩わせるものが今は許せない。

「もう忘れたの、ここに隠れてと言ったはずだけど」
「そんな卑怯なことできないよ」
「……みどり」

 すっと、その目が細められる。掴まれる手首は力を込められていないはずなのにびくともしない。

「離して……」
「やだ」

 ――突然の衝撃が軽く背中を打った。窓に追い詰められたのだと遅れて理解したところで、縫い留められたように動けない。長身を押しやろうとした手も捕まって、指を絡められたままカーテン越しのガラスに押しつけられてしまう。奇妙な角度で固定される関節のせいでどうやっても力が入らない。

「君はすぐ忘れる。彼らが君を探す理由や、その後どうするつもりかは知ってるかい」
「どうするって……」

 具体的な想像をしていなかったことに気づき、ことばに詰まる。高いところから降りてくる視線はそれ自体が楔のようにわたしがもがくのを無意味にした。冷たいのとは違う、むしろ真逆のそれは怒気を抑え込んだものだった。蛍光灯の明るさが逆光を作り、影を落としてもその鋭さは変わらない。

「数人がかりなら君をこうして捕まえるのも簡単だろうね。その後は……」

 ふと、視線が落ちた。わたしのつま先から頭のてっぺんまでをたどり、キョーヤはため息混じりに目をそらす。

「君の体なら三分で全身の骨を折れる」
「……そんなの……嘘だよ」
「試してみるかい、そんなことはさせないけど。ともかく、そうまですれば僕を攻撃したことになると踏んだんだろう」

 完全に、頭は冷えていた。正気が消し飛ぶほどの苦痛を思うだけで微かな吐き気すら感じて身体が竦む。振るわれる暴力にわたしが耐えられるはずなどないとキョーヤはわかっていた。だからこそ、考えなしに飛び出そうとしたことにこんなにも怒っている。

「どうしてさっきからまるで抵抗しないの」
「……怖いから」
「うん、当たりだ。たとえ君がいくら暴れたところで力も体格も足りないから逃げられない」
「……うん」
「わかったでしょ、君は弱いんだ。弱いから僕が守る」

 そうっと両手が離れていっても、そこから動けなかった。キョーヤの目を直視できないほど自分が情けない。とうとう同じ階にまで到達した破壊音にこんなにもびくついてしまうほど気持ちが弱っていく。

「……ごめんなさい……」
「……僕も、脅かしすぎたね。みどり、もう顔を上げて」

 頬に触れる大きな手は温かい。促されるまま俯いた視線を上げると、微かに痛みをこらえるような表情のキョーヤがいた。背後で繰り広げられるだろう惨状からわたしを遠ざけるように片腕で背中を抱き寄せてくれる。

「君がこれ以上怖い思いをするのは嫌いだ。だから置いていく」

 ここでわたしにできることは何もない。はっきりと確信して、黙って腕の中で頷くしかなかった。ほんの少し安堵したような吐息が空気に溶けて、どこかへ散る。

「無事でいてほしい。ここで待ってて」

 そう告げて去って行く背中を見送る。もどかしい気持ちは未だ残ったまま。けれど、わたしよりもわたしのことを見ていてくれるキョーヤのことばなら何より信じたい。これから飛んでくるだろう悲鳴や打音に備えて耳を塞いでその場に座り込み、目も閉じた。いろんなことが怖くて仕方ないわたしを迎えに来てくれるキョーヤが、無事に戻ってくるように誰かに向けて祈りながら。