弾んだ声とともにあちらを振り返ったはずの彼は、肩をひどく跳ねさせた直後にわたしの横をすり抜けて走り去ってしまった。塗装の剥げかけた壁が迫り狭い舞台裏にはわたしと条くんだけが残される。
オリの中、慣れない屋内で迷子になってしまったわたしを探しに来てくれた。そんなシチュエーションには不釣り合いな無言が降りる。ここは奈落の暗がりなのだと、錯覚させるほどに。
切れかけた照明は影も明滅させる。その中で、ふとたった数歩でやってきた条くんはわたしの片手をやんわりと捕まえた。少し冷えた指先、そのさらに向こうを視線でたどることをためらってしまう。
「逃げないでよぉ」
きっと条くんの表情は歪な逆光で隠れているから。今この瞬間の、なんの色もない声のように。
「ケイちゃん」
客席から聞こえる談笑が遠い。男の子たちの大きな声を押さえつけるように条くんのひとことは重かった。舞台袖から出るにはすぐそこなのに、わたしの両脚すら縫い留めて。
「逃げないよ。どうして、条くん……」
「怖い」
――とどめに胸を貫いてみせた。
その衝撃を飲み込んでやっとのことで顔を上げるのと、条くんが少しかがむのはほとんど同時。そこでようやく、わたし自身が長身の影に覆われていることに気づく。
間近で瞬く優しい目は、光を返せずに沈んでいた。
「……ここはさぁ、ゴツいやつらが多いでしょ。それに、部屋も通路もたくさん」
手の甲を、硬い指がすっとなぞっていく。頁に刻まれた文字の羅列を追うのに似た、ゆったりとして、それでいて慎重な。
「ケイちゃんを見失うと、本当に見つけられなくなるんだよねぇ。目をこらしても、耳を澄ませても」
ぽつぽつと語られるのはきっと、いつかあった出来事。わたしに自覚がなかっただけで、条くんの目の前からわたしがいなくなった日のこと。
「オレが知らないうちにケイちゃんに何か起きたらって、苦しくなる」
「……ごめんね」
この、大きな男の子こそ迷子のようだった。今は明るいところにいるからこそ、再び光を遮られるのを怖がって。
「大丈夫。誰も、もう条くんのそばからいなくならないよ」
「ケイちゃんも」
「もちろん。屋上までの戻り方、ちゃんと教わったから」
だらりと下がっていた方の手を取る。長くて、骨を感じさせて、どこか消え入りそうに力の入らない指をそうっと握って。
「でも、今は連れてって。手を繋いでてほしいの」
ここは暗い奈落ではなくて、いっしょに歩いて出られる舞台なのだと。
「……うん。行こうかぁ」
やがて条くんはぎこちなく頷いた。
「ありがとう」
元通りには、少しだけ時間が必要な笑みで。
「……もうすぐちょーじも外から帰ってくる。そしたら、お昼にしようかぁ」
姿勢を戻すその奥から足音が響き、二人組が急いで走り寄ってくる。それぞれ脚立と豆電球を持って。
ランダム単語ガチャ No.3918「袋のネズミ」
